「乏しき時代において文化と自然の共生を問うための人文学的構図(その1)」
Saturday, April 13, 10-11am
Speaker: OHSAWA Zenshin, Professor Emeritus, Kanto Gakuin University
大澤善信(関東学院大学名誉教授)
タイトルがいささか仰々しいのですが、私の学んできた領域は社会学なので、人文学の範疇かそれとも社会科学範疇を立てた方がいいのかというマージナルな位置付けで、その社会学の古典であるマックス・ウェーバーが近代を特徴づけるのに用いた「世界の魔術からの解放」という言葉(シラーのもじり)が有名です。ウェーバーは近代人の性格類型を「心情のない専門人」だといい、ニーチェの言葉で「無(ニヒツ)の人」や「末人」とも呼んだのですが、「魔術から解放された」知性とは、ハイデガーによれば「技術崇拝」が極まったということでした。「人新世」や人間と人間ならざるものというと極めて21世紀的な問題圏ですが、1900年に亡くなったニーチェが自分の死後200年はニヒリズムの時代だと述べたように、むしろ前々世紀末から20世紀の前半における人間と動物、文化と自然、ゲゼルシャフトとゲマインシャフト等々の問題構制をぼく自身は意識してしまいます。さて、ちょうどその時代の「乏しき時代の詩人」リルケも、詩人がなすべきは大地の「委託」を叶えることだと述べており、同様の問題圏を潜っているものと思われますので、少々関説しようと思っています。